人生初。
私は生まれて初めて歌った歌を、当然だが覚えてない。
娘はきらきら星だ。
いつも、さぁ寝ようと電気を消すと歌い出す。
褒められるのが嬉しくて、暗闇でもニコニコしているのが分かる。
何度も何度も繰り返し歌い、歌が止まると同時に寝息が聞こえてくるのだ。
なんと幸せな音だろう。
この声を絶対に忘れたくない。
宝物だ。
12個。
とある町中華で、あぁ久しぶりだと思って唐揚げ定食を注文した。
運ばれてきて気づいたが、我が家は唐揚げ率高めで、久しぶりであるわけがない。
そして衝撃的なことに気付く。
我が家唐揚げ率高めにも関わらず、ほとんど食べた記憶がないのだ。
毎日の料理はもう無心で、唐揚げといえば、鳥モモ肉2枚買い、12個に切り分け、気付いたら12個の唐揚げが完成している。
(揚げ物は好きだ。一度火をつけたらそこに集中して良い権利を与えられる気がするから。)
家族2人の頃は、食べ残せば翌日のおかずになっていたし、子供が生まれてからも、量を見直すこともなく、ただただ12個の唐揚げを作り続けてきた。
思い返せば、私も昔は4個ぐらい食べていた気がする。
息子が生まれ、娘が生まれ、離乳食を経て、もれなく唐揚げ好きな子供に育っている今、さぁ食べようかと私が席に着く頃には、12個あった唐揚げは6個ほどに減っている。
横には怪獣が2人「唐揚げおかわりー!!」と箸を振り回している。
その横には、元々唐揚げ大好きおとんが食事中だ。
次第に私は唐揚げを食べなくなった。
驚きだが、前回の唐揚げは1個食べたか記憶にない。
ただ、これまた今気付いたが、決して我慢しているわけではなく、美味しく食べてもらえることに、異常に満足している自分がいるのだ。
私食べれんやん、作る数を増やさなあかんなという思考に至っていないことがそれを証明している。
息子が話す言葉には、「お母さん大好き」「お母さんがいい」など、私の存在意義を爆上げしてくれる言葉が多いが、何より一番好きなのは、「お母さんおかわり!」だ。
これは今のところずっと変わらない。
元気にケラケラ笑って、大好きなご飯のおかわりを気にしながら食べ始める姿が、たまらなく好きだ。
心底安心する。
町中華の揚げたての唐揚げはとても美味しく、色々思いを巡らすうちにあっという間に食べ切った。
唐揚げの数を増やすか、母の唐揚げが足りなくなるほど食べてくれる喜びにもう少し浸るか、まだ悩んでいる。
役割。
家族には役割がある。
私は子供達を生かすために、雨の日も風の日もご飯を炊くし、そばに居て欲しいと子供達が感じる瞬間を見逃すまいと、静かに戦っている。
2歳になった娘にも、もちろん役割がある。
まだまだ泣くのが仕事と言いたいのだろう、とにかく泣いて解決しようとするし、絶対YESでしょという場面でもとりあえずNOと言う。(顔はYESだ)
自分の苺を食べ終わると、兄の苺を我が物顔で食べるし、ワンプレートご飯を素手で混ぜて床に投げるなんて、今の我が家では彼女にしかできない役割だ。
実はもうひとつ、彼女には大事な役割がある。
「兄の味方」だ。
2年前まで、人数的にも物理的にも大人の割合が多かった我が家。
「私が来たからもう大丈夫だ」と言わんばかりに、兄に寄り添う。
時に、争いが苦手な兄に喧嘩をふっかけ、言いたいことがあるなら喧嘩を受けるべきだと教えているようだ。
そして仲直りの喜びを2人で分かち合う。
恐竜アニメが始まれば、大きな声で兄を呼び、主題歌を兄が歌い出せば、それを盛り上げるのはもちろん彼女だ。
ティラノサウルスになりきって、2歳と思えない低音でうなっている。
そう、いつだって「兄の味方」なのだ。
息子は知っている。
妹が自分のことを大好きだと。
それだけで、十分だ。
彼女の役割として、十分すぎる。
こうして時々、家族の役割を見直す。
子供達が大きくなれば、きっとご飯を炊くより大事な役割があるに違いない。
今はとにかくご飯を炊こうと思う。
勝手すぎる。
【勝手すぎる】
少し前まで、リビングの静けさは事件の始まりだった。
大切な書類は破られ、兄の真似をした娘が今にも倒れそうなテレビから降りられなくなっている。
テレビのリモコンは見たこともない設定にされ、空調のリモコンに至っては、半年ほど前から行方不明だ。
5分も静けさが続こうものなら、もうそれは事件後の可能性が高い。
そんな我が家の静けさに、このところ変化が訪れている。
やばい、何分静かだった?しまった、、と覚悟を決めて2人の行方を追うと、兄による妹の為の読み聞かせが行われていたのだ。
役目を果たしていない気休めの鍵(S字フック)をこじ開け、パントリーを漁り、ようやく取れたおやつを2人で分け合っていることもある。
こういう場面を目にすると、なんとも言えない微笑ましさにシャッターをきるのと同時に、日常的に有限を感じやすい私は、いつも、自分がいなくなった世界を想像してしまう。
人生なんて何があるか分からず、思いがけず疎遠になってしまう兄妹なんて、山ほどいると分かっていても、どうかこのままお互い支え合って生きて欲しい、どちらかが辛い時に寄り添ってあげて欲しいと、こんな小さい子供達に向かって願ってしまうのだ。
子供達が生まれた時「元気でさえ居てくれたら他に何も要らない」と心から願った私はどこへ行ったのだろう。
年々広がり続ける、子供達への願いに、自分でも笑ってしまう。
静かな時間を求める毎日に、静かな時間が訪れた途端、寂しくなる。
自分でやってくれよと思う毎日に、私の手を借りず解決する子供達を見ては、切なくなる。
なんなんだ。
親というのは、こんなに勝手なのか。
おとんの成長。
人による、ということは分かった上で言うと、おとんは髪の毛を結ぶのが苦手だ。
おかん(私)が娘の髪をポニーテールに結うのを見て、おとんもやってみようと思ったのだろう、それはとても嬉しい。
ただ、おとんにより初めて結われた娘のポニーテールは、誰がどう見てもお相撲さんの「マゲ」だった。
お相撲さん風の娘も愛らしく、何も問題ないのだが、娘は日によって、おかんによる「ゆるふわポニーテール」で登園したり、おとんによる「マゲ」で登園したり、するのだ。
出来ることなら、是非毎日、前者で登園させたい。
私は、何故「マゲ」になるのかを細かく分析し、伝えた。
おとんは練習を重ねたのだろう。
見て欲しい、こんなふんわりポニーテールが結えるようになったのだ。
まず、後れ毛の可愛さと重要性を知ったと思われる。
そして、結ぶ位置は頭のてっぺんでなくて良いことを知ったのだろう。
「マゲ」の分析結果を伝えた私は、それ以降敢えて何も言わずに見守ってきたが、これはもう合格だろう。
何も知らずにニコニコお相撲さんで登園していた娘が、既に懐かしく、またその姿に会いたくなってしまう。
おとんも成長している。