カレーの謎。
夕飯がカレーの日、「給食もカレーだった!」はよくある話だ。
それにしても。
それにしても、だ。
我が家はこの1年ほど、夕飯にカレーを作った日は、全て給食もカレーだった。
私は普段、給食メニューも見ないし、そんな偶然ある??、、が何度も何度も続いた。
あんまり続くから、保育園週1カレーなんじゃないかと疑ってみたこともあるが、まったくそうではない。
月1〜2回の不定期だ。
実は、今日またその日がきた。
うちはカレーだ。
帰ってきた息子が「今日カレーだった!」という。
嘘だろと思ってメニューを見ると、ポークカレーと書いてある。
本当に分からない。
流石に気になり、疲れた頭で、なんでだ?なんでだ?とカレーを温めていた時、、
、、閃いた、これしかない。
「私がどうしてカレーを作るか」というところから考えてみたのだ(無駄な時間)
全て共通点がある。
前日に、息子が「カレー食べたいなー!」と私に言っている。
私は必ず翌日、カレーにしている。
全てが繋がった。
翌日の給食がカレーだなんて、息子達(保育園児)からしたら、お祭りだろう。
「明日はカレーだよ!!!」で大騒ぎに違いない。
その頭で帰ってきた息子が呟く。
「カレー食べたいなー!」
それを聞いた母は、翌日カレーを作ることを心に決める。
そして翌日。
予定通り、給食はカレーだ。
そして我が家も予定通り、カレーだ。
1年ほど続いたモヤモヤが晴れた。
世の中にあふれる「給食もカレーだった!」の謎は、ここに答えがあるのではと思う。
大感謝。
私は保育園から帰ってくる時のコーディネートを、毎日とても楽しみにしている。
なんとも言えない色の組み合わせや、全身柄もの、どこかで入れ違ったのであろう見たこともない誰かの洋服で、意気揚々と帰ってくる姿がとっても好きだ。
先生達の忙しさと懸命さが垣間見えるのが何とも言えず有り難く、嬉しい。
と思っていた。
先日、目を見張るほど真っ赤な出立ちで登場した息子の隣で、先生がとびきりの笑顔で「良いコーディネートですよねー」と教えてくれた。
お着替えは子供達に選ばせてくれているらしい。
なるほど、そうなってくると、息子のかっこいい基準が少々気にはなるものの、忙しい中、子供達が時間をかけて洋服を選ぶのを見守ってくれている先生達には、感謝の気持ちが増すばかりだ。
あぁ、大きくなってきた。
人生初。
私は生まれて初めて歌った歌を、当然だが覚えてない。
娘はきらきら星だ。
いつも、さぁ寝ようと電気を消すと歌い出す。
褒められるのが嬉しくて、暗闇でもニコニコしているのが分かる。
何度も何度も繰り返し歌い、歌が止まると同時に寝息が聞こえてくるのだ。
なんと幸せな音だろう。
この声を絶対に忘れたくない。
宝物だ。
12個。
とある町中華で、あぁ久しぶりだと思って唐揚げ定食を注文した。
運ばれてきて気づいたが、我が家は唐揚げ率高めで、久しぶりであるわけがない。
そして衝撃的なことに気付く。
我が家唐揚げ率高めにも関わらず、ほとんど食べた記憶がないのだ。
毎日の料理はもう無心で、唐揚げといえば、鳥モモ肉2枚買い、12個に切り分け、気付いたら12個の唐揚げが完成している。
(揚げ物は好きだ。一度火をつけたらそこに集中して良い権利を与えられる気がするから。)
家族2人の頃は、食べ残せば翌日のおかずになっていたし、子供が生まれてからも、量を見直すこともなく、ただただ12個の唐揚げを作り続けてきた。
思い返せば、私も昔は4個ぐらい食べていた気がする。
息子が生まれ、娘が生まれ、離乳食を経て、もれなく唐揚げ好きな子供に育っている今、さぁ食べようかと私が席に着く頃には、12個あった唐揚げは6個ほどに減っている。
横には怪獣が2人「唐揚げおかわりー!!」と箸を振り回している。
その横には、元々唐揚げ大好きおとんが食事中だ。
次第に私は唐揚げを食べなくなった。
驚きだが、前回の唐揚げは1個食べたか記憶にない。
ただ、これまた今気付いたが、決して我慢しているわけではなく、美味しく食べてもらえることに、異常に満足している自分がいるのだ。
私食べれんやん、作る数を増やさなあかんなという思考に至っていないことがそれを証明している。
息子が話す言葉には、「お母さん大好き」「お母さんがいい」など、私の存在意義を爆上げしてくれる言葉が多いが、何より一番好きなのは、「お母さんおかわり!」だ。
これは今のところずっと変わらない。
元気にケラケラ笑って、大好きなご飯のおかわりを気にしながら食べ始める姿が、たまらなく好きだ。
心底安心する。
町中華の揚げたての唐揚げはとても美味しく、色々思いを巡らすうちにあっという間に食べ切った。
唐揚げの数を増やすか、母の唐揚げが足りなくなるほど食べてくれる喜びにもう少し浸るか、まだ悩んでいる。
役割。
家族には役割がある。
私は子供達を生かすために、雨の日も風の日もご飯を炊くし、そばに居て欲しいと子供達が感じる瞬間を見逃すまいと、静かに戦っている。
2歳になった娘にも、もちろん役割がある。
まだまだ泣くのが仕事と言いたいのだろう、とにかく泣いて解決しようとするし、絶対YESでしょという場面でもとりあえずNOと言う。(顔はYESだ)
自分の苺を食べ終わると、兄の苺を我が物顔で食べるし、ワンプレートご飯を素手で混ぜて床に投げるなんて、今の我が家では彼女にしかできない役割だ。
実はもうひとつ、彼女には大事な役割がある。
「兄の味方」だ。
2年前まで、人数的にも物理的にも大人の割合が多かった我が家。
「私が来たからもう大丈夫だ」と言わんばかりに、兄に寄り添う。
時に、争いが苦手な兄に喧嘩をふっかけ、言いたいことがあるなら喧嘩を受けるべきだと教えているようだ。
そして仲直りの喜びを2人で分かち合う。
恐竜アニメが始まれば、大きな声で兄を呼び、主題歌を兄が歌い出せば、それを盛り上げるのはもちろん彼女だ。
ティラノサウルスになりきって、2歳と思えない低音でうなっている。
そう、いつだって「兄の味方」なのだ。
息子は知っている。
妹が自分のことを大好きだと。
それだけで、十分だ。
彼女の役割として、十分すぎる。
こうして時々、家族の役割を見直す。
子供達が大きくなれば、きっとご飯を炊くより大事な役割があるに違いない。
今はとにかくご飯を炊こうと思う。