全然分かってなかった。
どんな歌も、どう伝わるかは、歌い手ではなく、聴き手の自由であることは、分かっているつもりだった。
息子は最近、言ってはいけない言葉(お母さんなんかどっかいけ系)を理解し始めた。
それでも反論出来なくなった時に、やけになってその言葉を叫ぶ。
最初はショックを受けていた私も、言いながら泣きそうになっている息子を見て、まったく動じなくなっている。
すると、数分後、息子が必ずやってくる。
「なかなおりしよう?」
私はそこで、いかにもショックを受けていたかのようにふるまい、最後には、
「いいよ、仲直りしよう」
ハグして解決である。
息子は必ず、仲直りした後に、涙が溢れてくる。
きっと言ってはいけないと分かっているからだと思う。
そしていつもの流れ。
「どんぐりころころ、うたって?」
良いとも。
歌おうじゃないの。
1回歌ってみると、どんどん涙が溢れてくる。
歌い終わると、また歌ってほしいと。
「どんぐりころころ」を。
どうしてだろう。
仲直りは必ず「どんぐりころころ」なのだ。
不思議に思って、眠りにつく前に聞いてみた。
「どうしていつも、どんぐりころころなの?」と。
「だって、なみだがなくなるから。」
息子にとって、どんぐりころころは、涙や悲しみを拭い去ってくれる、大事な歌だったのだ。
全然分かってなかった。
頭のどこかで、耳馴染みの良い童歌のひとつだと、一括りにしていた自分がいたことに気付いた。
もっともっと大事に歌いたいなぁと思った夜。
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