振り向かない。
気付いたら娘は9ヶ月。早すぎる。
ご飯はもう3食食べてるし、ずりばいが始まったと思ったら、ほんの少し目を離しただけで、瞬間移動する。
つい最近、人見知りも始まって、お母さんが見えなくなると、とんでもない声で泣く。
そんな声がとても愛おしいけども、おもちゃに必死になって全く(本当に全く)振り向かない姿が、たまらなく愛おしい。
「すぐ後ろでお母さんが見守ってくれていることを信じて疑わない」この背中が、私はとっても好き。
きっと本当に振り向いてくれない日がくると思うのやけど(心の準備)。
その時、自分が信じて見守れる母親になれているのかと言われると、とっても自信がない。
将来の自分へ覚えておきたい、娘の背中。
和解。
【和解】
叱ることが続くと、いつの間にかどうして叱っていたのか分からなくなって、最初は息子の為だったはずの叱りが、親である自分の為の叱りに変化してしまっていることに気付く。
親だって人間だから、途中からは自分が悪かったと思っても機嫌をすぐに直せないこともあり、こんなに3歳児との和解に悩むなんて、自分でも笑ってしまう。
そんなイライラMAXの私には、自分の心を落ち着けられて、かつ息子から心を離さない絶妙な「やること」がある。
それは、絵本の修理。
もうこれは、この時のために、普段はあえて直さないと言っても過言ではない。
叱られて、ちょっとしょんぼりしながら、また次叱られる為のいたずらを考えている(ように見える)息子のそばに、ただ座り、ビリビリになった絵本を片っ端から修理する。
この本はあの時に買ったなぁ。
このページでいつも笑うなぁ。
好きなページが全部ビリビリやなぁ。
不思議と、絵本が元に戻る頃には、私の機嫌も元通り。
そんな私を見た息子は、安心して、次のいたずらを仕掛け、わがままを言ってくる。
わがままばかりだとイライラしちゃうくせに、わがまま言われると安心する。
3歳児よりお母さんの方がよっっぽど面倒くさい。
心の準備。
度を超えたやんちゃが増えてきて、このところ叱ってばかりの私に、息子が叫びました。
「お母さん、もう嫌!あっち行って!」
わー、、きてしまった、ついに。
「そうかー寂しいなー。お母さんは大好きやけどなー。そうかーお母さんのこと嫌いなんやー。」
としょんぼり返してみました。
一瞬、しまった、、!という表情を見せつつも、後に引けなくなった息子は、更に大きい声で叫びます。
「違う!嫌いじゃないもん!好きじゃないだけ!」
こんなに幼いのに、嫌いとまでは言いたくない、そのニュアンスで使い分けてくることに、やけに感動してしまった。
いつか、本気の「嫌い!あっち行け!」が来ても、この日のことを思い出せば、乗り越えられる気がする。
私でした。
このところ、癇癪がとっっても激しいので、どうしたものかなぁと家族に相談するために、日中1時間ほどビデオを回してみました。
そして、その動画を見返した私は、すぐに気づいてしまった。
なんと動画を撮っていた1時間の中で息子が言った「お母さん見て〜」の半分ほどしか、私は反応出来ておらず、残りの半分は息子が諦めるように遊びに戻る姿が。
お休みの日は、1日にざっと1000回は「見て〜」と言われるので、もしかしたらそのうち500回の「見て〜」をスルーしてしまっているのかもしれない。
なんということだ。
娘の世話や家事など、声を大にしたい言い訳は沢山あるものの、育児あるあるだと分かっているものの、癇癪の一因がここにあることが明確になりました。
客観的に見ないと分からないことは沢山ありますね。
もうひとつ。
息子の「見て〜!」に、息子の姿が全く見えない違う部屋から、「見とるよ〜!!」と応えるのはやめようと思いました。(ついやりがち)
1つ300円で売ってくれる、高級ミニドーナツ屋さんで、今日もお買い物ごっこ。
ひとつでも多く「見て〜」を叶えてあげたい気持ちと、そうもいかん気持ちと、永遠に葛藤しながら、ちょっと泣きそうになりながらドーナツを食べてるなんて、息子に気付かれないようにしよう。