貴重。
誕生日に夫がくれたプレゼントは、ライブチケットでした。
え、、良いんですか、、?
ALICIA KEYSを、え、、1人で、、?
あんまり楽しみにすると、子供達が熱を出す(謎)ことは、もう慣れに慣れているので、全然楽しみなんかじゃないし風に過ごし、ちょっとスーパーに買い物行ってくるねぐらいの感じで、ふらりと。
最幸の時間。
とんでもない歌声に、楽しむまでに時間がかかって、困ってしまった。
息していたかな、瞬きしていただろうか。
素晴らしかった。
耳に残る歌声だけで十分。
帰り道にイヤホンはいらない。
1人でライブなんて、何年ぶりなのだろう。
たまたま右隣も左隣も女性おひとり様、どんな生活をして、どんな気持ちでここに来ているのだろうかと、ふと考えてしまった。
1人時間満喫しようと羽が生えたように出かけ、ご飯食べて来て良いよーと連絡が入り、やったー!と思ったのに、いざ予定が終わると1秒でもはやく帰ろうと電車に飛び乗ってしまう現象、これなんなのだろう。
いつもそうだ。
カフェにでも寄れば良かったと必ず後悔するけど、毎回必ずそうなってしまう。
絶句。
目的地を告げず、福井へ向かった。
「ふくいけん」という響きは、息子にとって「きょうりゅう」と聞こえるのかもしれない。
福井県に入り、サービスエリアに寄ると、
「おかあさん、どうして福井に来たの?もしかして、恐竜博物館?違うか、さすがに。」
と聞いたことないほど流暢に話しかけてきた。
福井県立恐竜博物館。
息子にとっては、「行けるはずがない」と思ってしまうほど、夢のまた夢の場所なのだ。
行けると分かった時の、絶句した息子の顔は、言葉にできない。
一生の宝物だ。
どうしてもこの夏、連れてきてあげたかった場所。
チケットが間違いなく取れているか、この1ヶ月、何度確認しただろう。
半日かけて、ご飯を食べることも忘れ、汗だくで見て回った。
そのキラキラした横顔は、今思い出すだけでも、目頭が熱くなる。
こんなにも好きなものがある、という事実が、私は嬉しくて仕方がないのだ。
感動している。
息子を見失わないように、必死で追いかけ回し、ゆっくり恐竜を見上げられなかったことも、かけがえのない思い出だ。
大大大満足だった。
今年新設されたという、福井県立大学恐竜学部のパンフレットを手にとったら、恐竜学部の教授陣が並んでいた。
息子に夢を与えてくれるヒーローにしか見えなくて、パンフレットに向かって、一礼してしまった。
忘れられない夏、2025。
全然分かってなかった。
どんな歌も、どう伝わるかは、歌い手ではなく、聴き手の自由であることは、分かっているつもりだった。
息子は最近、言ってはいけない言葉(お母さんなんかどっかいけ系)を理解し始めた。
それでも反論出来なくなった時に、やけになってその言葉を叫ぶ。
最初はショックを受けていた私も、言いながら泣きそうになっている息子を見て、まったく動じなくなっている。
すると、数分後、息子が必ずやってくる。
「なかなおりしよう?」
私はそこで、いかにもショックを受けていたかのようにふるまい、最後には、
「いいよ、仲直りしよう」
ハグして解決である。
息子は必ず、仲直りした後に、涙が溢れてくる。
きっと言ってはいけないと分かっているからだと思う。
そしていつもの流れ。
「どんぐりころころ、うたって?」
良いとも。
歌おうじゃないの。
1回歌ってみると、どんどん涙が溢れてくる。
歌い終わると、また歌ってほしいと。
「どんぐりころころ」を。
どうしてだろう。
仲直りは必ず「どんぐりころころ」なのだ。
不思議に思って、眠りにつく前に聞いてみた。
「どうしていつも、どんぐりころころなの?」と。
「だって、なみだがなくなるから。」
息子にとって、どんぐりころころは、涙や悲しみを拭い去ってくれる、大事な歌だったのだ。
全然分かってなかった。
頭のどこかで、耳馴染みの良い童歌のひとつだと、一括りにしていた自分がいたことに気付いた。
もっともっと大事に歌いたいなぁと思った夜。